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Interview

インタビュー

地域コーディネーターの立場から復興を支える

押田 一秀 Kazuhide Oshida

株式会社ミライクリエイツ 代表取締役社長

2020.10.23

 
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Profile

福島県相双地域を拠点に活動する地域コーディネーター。2011年3月14日、各種アーティストのパフォーマンスにより被災地に笑顔を生み出すコミュニティ支援団体「RESMILE PROJECT」を設立。その後、東北各地域で活動する中で、とくに相双は復興への道程が困難と感じ、先を見据えて産業を生み出すこと、その意志を持った若者や地元事業者をサポートすることを目的に、相馬市に事務所を構え活動に取り組む。

Movie

ムービー

01

福島の内側からどんなこともやらなければ復興はできない

私は東京のウェディングプロデュースの会社を経営しているので、東京を拠点にして東北の復興支援活動を行うつもりでした。岩手や宮城でも支援活動をしてみたこともありましたが、 福島に関しては、県外から支援活動を行って未来に希望を持てるイメージが全くつきませんでした。そこで、福島の内側からトライ&エラーを繰り返しながら、どんなこともやらなければ復興はできないと考え、福島に事務所を構えることにしました。 震災当時、福島の中でも相馬市は福島第一原子力発電所事故以降の避難指示区域でなく、かつ、福島第一原子力発電所に一番近い自治体でした。震災の影響で生活できる環境ではなかったにも関わらず、住民だけが残されている状態でした。つまり、住民の生活を取り戻すところから始めなければなりません。 非常に困難ではありますが、どうにかして福島を復興させたいという思いがあり、福島の相馬市に拠点を移すことにしました。

02

多くのリソースを外部から持って来なければいけない

震災直後の福島の印象は今でも昨日のことのように覚えています。最初は宮城や岩手なども巡り、3月末に、福島に入りました。宮城や岩手に比べて福島は、人が避難してかなり減っていましたし、支援もほとんどありませんでした。 当時、福島の未来に希望が持てませんでした。とにかく福島からどんどん人は減り、産業も衰退して・・・、そんな不幸なイメージしか持てませんでした。私が相馬に拠点を構えた理由にもつながるのですが、この地域にもっと多くのリソースを外部から持って来なければどうしようもないんじゃないかという印象が強く残っています。

03

交流人口を増やすべく打ち出した仕掛け「ロックコープス」

ロックコープスとは、ボランティア活動をするとコンサートに参加できるという、変わったイベントです。 2014年当時の福島は原子力発電所事故の影響で、全くと言っていいほど人が来なくなっていました。ボランティア人口は宮城県や岩手県の半数以下で、圧倒的に交流人口が不足していました。事故の影響があり、観光で交流人口を増やせない圃場に困難な状況の中、私たちが交流人口を増やすべく打ち出した仕掛けが「ロックコープス」でした。 私たちは、よそ者らしく福島県外の人脈やアイディアを活用し、スポンサー企業を募り、メジャーなアーティストを国内外から招待し、ロックコープスを実現しました。その結果、福島県外からアーティストのファンや音楽好きの人、変わったイベントに興味をもった人たちが数千人という単位でボランティア活動をするために来るようになりました。そして、このイベントに参加し、福島の現状を知った人たちが帰った後、それぞれの地元で福島の現状を発信する相乗効果も生まれました。 このイベントは6年間続けていて、今では地域活性化の新しいモデルケースとして全国各地で紹介されるようになりました。 地元の人では思いついても実現できないことを、私たちよそ者の力で実現できたとき、存在意義を感じます。

04

復興を学びの場に

私たちは、修学旅行のような形で相馬に来た高校生や大学生が地元の人との交流を通じて、福島のことを知り、福島が抱える課題の解決策を考えて、その過程で学びを得るようなツアーを企画しています。 私たちのスタディーツアーは毎年たくさんの高校生や大学生に利用されていて、平均すると数百台単位のバスが高校生や大学生を乗せて福島にやって来ています。観光ではありませんが、こうした取り組みを通して、福島に新しい交流人口を生み出してこれたのではないか考えています。

05

人々の心にゆとりが。未来に向かった話題が聞こえる

これまで様々な建物が建ち、道路がつくられ、明らかな変化はあります。しかし私は震災直後から福島で支援活動をしているからなのか、復興している実感があまりありません。 振り返ってみると、震災当時は「これからどうやって生活すればいいのだろう」「賠償金はもらえるのか」そんな話題ばかりでした。目先のことを考えるだけで精一杯だったんです。 今は人々の心にゆとりができ、未来に向かった話題も聞こえてくるようになりました。福島に住む人たちが未来についての話題で会話をしているとき復興していると感じているかもしれません。

06

「よそ者・若者・バカ者」当時はそういう人の力が必要だった

この10年間、未だに探し続けている状態なのですが、よそ者である立場から福島を客観的にみて、地元の人が気づいていない福島の良さや強みを活かした仕掛けを打ち出せることだと思います。 「よそ者・若者・バカ者」という言葉が昔から使われていますが、当時の福島にはそういう人の力が必要でした。私はよそ者らしく、地元の人だけでは作れないような世界中の人脈とアイディアを活用した仕掛けをするように心がけて活動してきました。

07

よそ者の私が福島からいなくなることが理想

よそ者である私が用済みになって福島からいなくなった状態が理想の10年後だと考えています。元々、私は復興支援をするために福島に来ました。福島の復興を遂げれば、東京へ帰る予定です。復興を遂げて東京に1度帰り、そして今度は福島に新しい事業をするためにまた来ることができればいいなと思います。 現実的に福島の10年後を予想するならば、これまでの10年がそうであったように、私は10年後も復興をしたという実感が湧くことはないと思います。震災から20年後と震災当時を比較すれば、街は発展し、人々の会話は希望のある話題に変化しているでしょう。これからの10年は震災の悲しみを時間が中和して、希望に代わっていくのではないかと期待を込めて考えています。

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