コラム

笑いは万薬の長

見えない赤い糸に導かれて(最終回)

宇野 賀津子 氏 《(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター インターフェロン・生体防御研究室長》


『原子力文化2019.3月号』掲載


見えない赤い糸に導かれて(最終回)



2011年の福島第一原子力発電所事故から早、8年が経とうとしている。9年前には、私が年に何回も福島に行ったり、放射線の専門家と議論しているとは予想だにしなかった。先日も『理系の女の生き方ガイド』を共同執筆した女性研究者仲間の坂東昌子さん(物理学者、素粒子論)と放射線の生体影響と炎症との関係を議論していたのだが、福島の事故がなかったら二人こんな話をしていなかったよね、と。
ただ、今にして思えば、私が発生学で博士号取得後所属していた研究室は、同じ京都大学動物学研究室の放射線生物学研究室の免疫分科で、それ故、先輩の放射線生物学者とは交流があった。そもそも、私の免疫の師・村松繁先生は放射線生物学教室の助教授であったが、放射能障害は免疫不全だと免疫の研究に転向、日本の免疫学の草分けのお一人であった。
そのため、私が免疫学の世界に入った頃は、放射線生物学の方も免疫学会に来られていたし、先輩後輩としての交流があった方々は、日本のトップクラスの放射線生物学分野の方々だった。
(公財)ルイ・パストゥール医学研究センターにいて、元々がん免疫の研究をしていた私は、3.11以降、物理系の方と、医学放射線生物学の専門家との橋渡しが少しはできたかと。また事故後、出身高校の同期のメーリングリスト(ML)での意見交換を行なったが、物理学、原子力工学、法学、医学などの専門家となっていた同級生と40年ぶりに会い、彼らの大学や研究所、病院などで免疫・がん・放射線といった内容でお話した。さらに、女性研究者MLへの情報発信から、女性研究者の友人に促され書いた原稿を見た福島のJAの方から講演依頼を受けたりした。
その後、高校の同級生の紹介で、日本学術振興会・産学協力研究事業に関わる説明会チームに誘われ福島に行くこととなる。この活動は、「放射線の影響とクライシスコミュニケーション」研究班につながり、ここで私はツイッター解析のきっかけをつくってもらう。一介の免疫の研究者がツイッター解析?となるが、3.11以降、疫学や統計、情報の専門家と出会い、交流を深め今に至っている。
福島でもいろいろな方と出会った。南相馬市立病院で出会った方々、とりわけ若手の方々とは今も、ツイッター解析を進めている。この解析のチームは皆、3.11以降に出会った方たちである。皆若く30~40歳前半である。
福島で出会った人たちで、とりわけ印象に残っているのは、元気なおばちゃんたちである。2012年4月に学振のお母さん向けのプロジェクトを提案したとき、今福島に必要なのは、「偉い先生の話よりアロマです」と言われた県会議員の方。飯舘村でナツハゼジャムをつくった方、南相馬で障害者も健常者も一緒に働ける作業所をつくった方、JAで地元の特産を使った商品開発に取り組んでいる方、福島の子どもたちの心のケアに当たっている方、皆元気なおばちゃんたちだった。東電に恨み言を言っても仕方ない、今出来ることをして、前向きに生きていこう、若い人に繋げようと。
福島事故が私にもたらしたものは、科学者の異分野連携、世代間交流、多様な業種の方々との交流、人の輪であった。

(『原子力文化2019.3月号』掲載)

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