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笑いは万薬の長

「福島子どもの未来を考える会」ベラルーシ派遣団同行記 I

宇野 賀津子 氏 《(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター インターフェロン・生体防御研究室長》


『原子力文化2017.11月号』掲載


「福島子どもの未来を考える会」ベラルーシ派遣団同行記 I



今年の8月、12日間、福島の中高校生50人に同行して、ベラルーシに行った。ベラルーシに行くというと、周辺では何処にあるの、という反応が多かった。さすが放射線について勉強した仲間たちは、この国のことは知っていたが、位置を正確に言える人は少なく、多くの日本人にとっては遠い国だった。
成田からアブダビ経由で首都ミンスクへ、そこから迎えのバスで2時間半、ズブリョーノック国立子供保養施設へ行った。車窓の景色は、北海道によく似ていた。麦、トウモロコシ、ジャガイモ畑と牧草地、間に赤松か白樺の森が続いていた。家は、スレート葺きの家が多く、各家には煙突が見えた。庭には果物や色とりどりの花が咲いているお宅も多く、質素ではあるが、小綺麗な家がつづいていた。
ズブリョーノック保養施設では、歓迎式典で歌や踊りがあり、私たちは2つのコテージに別れ滞在、一部屋に3~4人のベッド、2部屋にトイレとシャワーが1つ。食事は、バイキングスタイルでフレッシュな野菜果物も出て充実。牛肉、豚肉、鶏肉が中心で、ソーセージもおいしかった。魚は白身の魚のフライが数回。海草はベラルーシでは見なかった。毎食、スイカ、桃、バナナなど一部輸入のものも含め、果物やヨーグルトがついていた。後に通訳の方に聞いたところでは、ベラルーシで新鮮な野菜や果物が食べられるのは、夏の時期だけで、冬場はピクルス、塩漬けなどの保存食が主とのことであった。ベラルーシの一番良い時期に来たと改めて認識した。
初日にはホールボディ検査もあった。2012年にベラルーシ共和国が福島の子どもたちを招待してくれたのは、汚染された福島の子どもたちへの保養プログラムの提供と聞いた。その後毎年、今回も含め初日に行なわれたホールボディ検査で福島の子どもたちに汚染は検出されず、汚染された子ども向けの特別プログラムを受けることはなかった。
この事実は、チェルノブイリ事故後、不健康な子どもが増えたとの報告に不安を抱えている人が多いと聞くが、福島では心配には及ばないということではなかろうか。
遠出以外の日は、保養プログラムがあり、マッサージやアロマ、ジャグジーなどのプログラムを順次、経験した。「ベラルーシ政府報告書」には被災者の健康増進およびサナトリウム療養制度の事故後の発達があげられている。ベラルーシ国内で50か所以上のサナトリウムや保養施設が、放射能汚染地区の子どもを受け入れていると記載され、我々が滞在したズブリョーノック国立子供保養施設はベラルーシの中でも、3本の指に入る立派な施設だとのことである。最大1500人ぐらいが滞在できるとか。汚染地域から保養施設に来て1か月程度滞在、このような保養プログラムを受けることにより、子どもの健康増進に寄与するとして、開発されたプログラムである。
保養施設周辺は砂質で、ゲリラ豪雨と突風に見舞われたあとで、いとも簡単に大きな木が倒れていた。事故で放出された放射線量の差、土質の違い、食習慣の違い、風土が大きく違ったことが、福島では幸いしたのだな、と改めて思った。

(『原子力文化2017.11月号』掲載)

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