ほうしゃせん古今東西

聖徳太子座像をエックス線で調査



  わが国における6世紀から7世紀にかけての時代に、みごとな芸術と学問の発展を実現させた卓越した才能を持っていたのが、聖徳太子です。推古天皇の皇太子(本名・厩戸皇子)として摂政を務めました。世に言う飛鳥時代を築いた人です。

 聖徳太子は、仏教を重んじ、自身も法華経、維摩経、勝鬘教などの仏典を研究して、それらの注釈書を著作されたほど熱心に仏教を学び、大陸に留学生や学問僧を送り、大陸文化の日本への導入を促進しました。日本の学問芸術の発展にこれほど功績のあった人は珍しいのです。そして、わが国の一万円札の肖像画になって長らく現代の庶民に親しまれました。

 奈良県斑鳩町にある法隆寺に聖徳太子の木造彫刻座像があります。法隆寺聖霊院の本尊で、高さ83.2センチあり、平安彫刻の最高傑作のひとつと言われ、国宝に指定されています。
 法隆寺と奈良国立博物館は、この聖徳太子座像をエックス線撮影によって、その内部や構造をくわしく調査しました。この座像のエックス線写真には、聖徳太子の体内に救世観世音菩薩像が入っているのが写し出されました。昔の重要な仏像の内部には、胎内仏と言って別の仏像が置かれていることがしばしばあるのです。

 さらに注目されたのは、聖徳太子像の両眼の構造でした。これまでは肉眼による調査しか行なわれていなかったので、木を眼の部分の形に彫って、瞳の部分に彩色をする古代からの「彫眼」というつくり方でできていると考えられていました。

 しかし、今回のエックス線撮影を顔の正面と側面から行なった結果、上まぶたの内側に差し込むようにして直径約1センチ、厚さ約1ミリの円形ガラス片が張りつけられていることがわかりました。そして、ガラスの表面に墨を塗り、縁はきれいに磨かれていました。

 後世には、仏像の眼の部分に凸レンズ状の水晶を入れる技法が行なわれるようになりましたが、聖徳太子の眼は、その一歩手前の技法だったのです。

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