ほうしゃせん古今東西

平清盛が曼荼羅図の軸内に納めた父忠盛の頭髪をエックス線で発見


2013年8月26日


西暦816年、弘法大師空海は嵯峨天皇の勅許を得て、高野山に金剛峯寺を建立しました。その後何度も火災により多くの建物が失われましたが、その度に再建が繰り返されました。


金剛峯寺の金堂の再建が1150年に行なわれた時、平清盛は曼荼羅図をつくって納入しました。曼荼羅図は多くの仏の姿を並べて描いたもので、金剛界図と胎蔵界図との一対からなっていて、併せて両界曼荼羅図といいます。 平家物語によると、清盛は胎蔵界図の大日如来の宝見に自分の頭部から血をとって絵の具に混ぜて彩色したと伝えられていて、金剛峯寺の曼荼羅は血曼荼羅と呼ばれています。


この両界曼荼羅図は共に縦4.2メートル、横3.9メートルという巨大なもので、重要な修法の行事の際にのみ飾られます。


血曼荼羅は850年を経て、ほころびや退色が進んだため、これを復元、再生するプロジェクトが2003年に開始されました。これに先立ち、種々の科学的調査が行なわれました。両界曼荼羅図は巨大なものなので、これを広げて掛ける時以外は、専用の軸に巻きつけてあり、この軸は直径2センチ、長さ4.2メートルの円筒形のものです。調査に際し、この二本の軸をエックス線撮影したところ、一本の軸内に一束の頭髪があり、他の一本の軸内には六束の毛髪が納められていることが発見されました。


修理の記録その他を考察して、一束の頭髪について高野山霊宝館では、清盛が金剛峯寺を再建した時、再建中に亡くなった父忠盛の頭髪を供養のため軸内に納めたのではないかと推定しました。六束の毛髪については、寛文8年(1668)の修理の時、寄進者が納めたものと推測されました。


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