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国会事故調、政府事故調については、1号機に津波がくるまでに一次系の重要な配管機器が地震で損傷したかどうかが大きな見解の相違になっています。ほかにもいろいろと細かいところがありますが、これについては私は「月刊WiLL」の10月号でかなり詳細に指摘しています。
その要点は、1号機については、私も原子力安全・保安院(現:原子力規制庁、以下保安院)の意見聴取会の委員として、昨年の10月から今年の2月まで、かなり詳細な事故の記録、きちんと残っているデータのコンピュータによるシミュレーション解析した結果を詳細に意見聴取会の中でレビューしています。
今回、国会、政府両事故調報告書を見ますと、特に国会事故調も政府事故調も保安院がホームページに公開している意見聴取会の報告書を引用しています。つまり、情報の出所は同じなのですが、解釈が違ってしまっています。私は特に、国会事故調の報告書はほとんど技術的な分析になっていないと思います。



“結論ありき”で記述したとしか見えない国会事故調報告書


事故調は、まず技術的にしっかり分析することが大事ですが、国会事故調の記述は、非常に意図的に“結論ありき”で報告書を書いているようにしか見えません。
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書店に並ぶ「国会事故調報告書」


具体的にいいますと、1号機、2号機、3号機については地震の後、特に外部電源のいろいろな受電設備が地震でやられた、碍子などが壊れた、といったことがあり、外部電源が喪失しました。ところが、間髪を入れず非常用ディーゼル発電機が起動していました。それで1号機、2号機、3号機は、津波がきて電源が失われるまでは、記録紙にしっかりとした記録が残っています。
その記録を見ると、原子炉、格納容器の圧力、温度などから見ると、格納容器内の高圧の配管が破断する冷却材喪失事故と呼ばれるような事象は全く起こっていません。
それでは、微妙な圧力あるいは温度の上昇をどう解釈するか、ある破断面積を仮定して、その破断面積に対して原子炉がどういう経過をたどるか、シミュレーションをしています。
原子炉の圧力が高く維持されていたことは、0.3平方センチメートル以上の破断があるともう説明できないのです。0.3平方センチメートルですから、ほんの小さな穴です。ですから、あったとしても0.3平方センチメートルという全くの仮定です。
さらに格納容器の圧力、温度の記録が残っています。原子炉が冷却材喪失事故を起こすと、必ず格納容器の圧力、温度は上がるのです。結局、電源が失われて空調が止まり、それで1号機、2号機、3号機は5℃前後の格納容器の中の温度上昇があります。そのために圧力も若干変動します。
それからすると、もし漏えいがあった場合に、蒸気相ですと0.08平方センチメートル、それから液相ですと0.02平方センチメートルと本当に微弱な漏洩で、それ以上の漏洩があったとすると説明できなくなります。つまり、あったとしても0.08平方センチメートル以下のことです。破断面積の大きいほうの漏洩を仮定してもその程度です。
0.08平方センチメートルはどれくらいかというと、赤鉛筆の芯の太さくらいです。非常に微弱な小さな穴しかあり得ない。そこまでいくと、保安規定上も冷却材喪失事故と呼ばないのです。単なる漏洩、その範疇でしかない。つまり、我々が意見聴取会でしっかり分析した結果からは、「冷却材喪失事故は起こってない」という結論になっています。それもきちんと報告書に明記してあります。
ただ、保安院が我々の審査した後の結論の本文を変えず、下の脚注のところにそう書いたものですから、きちんと見ないと、一般の方はなかなか気がつきません。それが報告書の大きな問題点だ、と私は思っています。



保安院による意見聴取会の報告書が一番しっかりしている


民間、東電、国会、政府と4つの事故調の報告書が公開されましたが、もう一つしっかりした報告書があって、それは私も参加した保安院の意見聴取会、技術的知見の委員会の報告書で、これが一番しっかりしていると私は思います。さらにそれは英訳されて海外にも配られていますので、実はもう一つ報告書があったということです。
その報告書を引用して国会事故調、政府事故調もいろいろな分析をしているのですが、今申し上げたとおり、国会事故調の報告書との違いでは「0.08平方センチメートル以上の破断はない」ということになっています。つまり、否定されたことになっています。
国会事故調の報告書では、その事実は伏せて、「0.3平方センチメートルの破断があった。その破断があったから、その後そこの傷口が広がって配管破断に至った」、つまり「地震によって配管破断が生じた」という結論を導き出しているのですが、とんでもないです。0.08平方センチメートル、赤鉛筆の芯くらいが拡大して深刻な配管破断に至ることはありません。
では、どうして1号機が減圧したか。津波がくるまではアイソレーション・コンデンサー(IC)が作動していて、原子炉の圧力が最初7メガパスカルから4メガパスカルまで15分くらいでグーッと下がっています。そのときの冷却の程度を温度で表すと、1時間当たり150℃くらいの非常に速い冷却モードになっていました。
我々原子力発電所を設計する人間のセンスからすると、1時間当たり55℃で冷却することを想定して、各部位に過大な熱応力が生じないような設計、あるいは確認をしています。
今、1号機を見ますと、きちんと非常用炉心冷却装置(ECCS)も立ち上がって冷却されています。それからICも起動しました。こうなると、1時間当たり55℃で速く冷えてしまうのは、どこかに過大な熱力を生じる可能性があるのです。運転員は55℃と徹底的に教え込まれていますから、ICで冷え過ぎたということで、ICの作動をコントロールして、バルブを閉めてしまいました。さらにその後、7メガパスカル付近になるようにオンオフをして、圧力をコントロールしています。
ですから、しっかり残っている圧力の記録を見ると、1回7メガパスカルから4メガパスカルまで下がった後、もう1回7メガパスカルに上がって、その後ICを作動して停止したということで、ノコギリの歯のような圧力挙動を示しています。ですから、運転員は自分が冷やし過ぎてしまったことによって、もし圧力容器を将来交換するようなことになるといけないと思ったので、そういう操作をしていました。



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提供:奈良林直氏


残念ながら地震の後に15メートル近い津波がくると予見できなかった


ただ、そのときに誰かが大津波が起きることを予見できていれば、その時点で「全力で冷却モードに入りなさい」という指示を出せたのです。「これだけ強い地震がきたから、津波がくる。速く冷やすためにICが持っている能力を目いっぱい使って冷やしなさい」という指示を仮に出せたとしたら、1号機はずっと冷却できました。ただ、残念ながらあれだけ強い地震の後、15メートル近い津波がくると誰も予見できてなかった。
ですから、私は運転員を責めるわけにはいかなくて、運転員の人はきちんと自分が教えられた55℃を守るための運転モードに入っていたと思います。
ただ、結果からして残念なのは、ICの作動をオンオフしていた。そして、津波がきたときにタイミング的にICのバルブを閉じてしまい、そのタイミングで津波がきてしまった。それからはたぶん大混乱になったと思います。中央制御室の電気も切れて、真っ暗になってしまった。何が何だかわからない。制御盤も全然見えない。みんな真っ暗になってしまっていますから、バルブが開いているのか締まっているのかわからない。そういう状態に置かれてしまったのです。
残念なのは、ICが閉まっていたことに気がついたのは18時くらいです。操作をしてICをもう1回起動するバルブを開けたのです。最初は蒸気が出るのですが、この時点ではすでに原子炉の炉心が損傷して水素が出てしまっていますので、ICに水素がきて、作動が停止してしまうのです。凝縮すると水素が濃くなって、蒸気が吸えなくなってしまう。これも仕方がない。ですから、その時点でもう炉心が損傷していた。
18時になるまで気づかなかったことが、結果論からすると、ものすごく残念なことです。マスコミの報道で吉田所長が「気がつかなかったのはうかつだった」と発言されていますが、今後の教訓とすべきだと思います。「強い地震がきたときには津波も想定して、いろいろ持っている冷却機をフルに活用しなさい」ということがこれからの運転手順書には必要です。あるいはいろいろな自然災害があったときは冷却モードに取り組まなければいけないと思います。これが1号機で非常に残念だったことです。
その後に国会事故調が主張しているのは、「減圧している」ということです。これは、いろいろと分析をしてみると、原子炉の炉心の中に中性子を測る検出器があって、そのパイプがステンレス製です。ジルカロイなどは高温に耐えるのですが、ステンレスは1400℃前後でだんだん軟らかくなって溶けてしまいます。そうすると、炉心の中にあるステンレスのパイプを通じて蒸気が原子炉の下に吹いてしまう、という状況があります。
中性子を測っている検出器はステンレスのパイプの中を移動するようになっていますから、下のほうが開放してケーブルが出入りするようになっています。ですから、そこは気密性がないので、上が溶けると蒸気が出てしまう。そういうパイプが全部で22本あります。
それから、炉心が空焚きになると、加熱蒸気と言って非常に温度の高い蒸気が発生します。原子炉は圧力が上がると、主蒸気逃がし安全弁(SR弁)というバルブが開きます。津波の後で大混乱しているので、そのときに開いたか、締まったか、たぶん記録がないと思いますが、その状態で原子炉の圧力が上がると(データ的には上がっていたと思いますが)、SR弁を通じて高温の蒸気が圧力抑制プールのほうに排出されるのです。


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提供:奈良林直氏


この蒸気が通過するときに、SR弁を止めている(フランジと言う)ボルトのところにパッキンが入っています。そのパッキンは、昔はアスベストが使われていましたが、「アスベストは発がん性物質だから使ってはいけない」となり、圧縮グラファイトという物質に変わっています。アスベストはもっと高温に耐えるのですが、圧縮グラファイトは400℃くらいで劣化してしまうため、「たぶんそこからリークが発生したでしょう」というのが東京電力の報告書に書いてあります。ですから、そういったもので十分減圧することはあり得るのです。



高い温度の蒸気によりボルトや配管も強度が低下してくる



さらに私が気にしているのは、400℃、500℃の非常に高い温度の蒸気が通過すると、ボルトや主蒸気の配管なども強度が低下してしまうことです。そこに到達した温度からすると、SR弁を止めているボルト自体も強度が低下して、たぶん高温クリープと言う伸びるモードになった。そうすると、漏洩の面積が増えてきますので、かなり急速な減圧が起こったのではないかと思っています。
SR弁のところから蒸気が漏れてしまいますと、炉心が損傷していますから、水素あるいは放射性物質を含んで格納容器に出てしまう。下の圧力抑制プールの水を潜っていないものが格納容器に存在することになって、その熱い蒸気が今度は格納容器の上を加熱していくモードに入ったと思います。
実は、格納容器の上もパッキンがあって、それはシリコンゴムでつくられています。シリコンゴムは耐熱温度が200℃ちょっとで、200℃を超えたあたりでシリコンゴムも劣化してしまう。そうすると、格納容器に出た高温の水蒸気、水素、それから放射性物質が格納容器の上蓋のシールドの部分が劣化して、漏洩してしまうのです。
格納容器の上はシードプラグという遮蔽のプラグが乗っていますが、厚さが2メートルくらいある大きなものですので、それをきちんとクレーンで吊り下ろすために隙間があります。その隙間からオペレーションフロアと呼ばれている作業エリアに水素や放射性物質が出てしまったということになります。それが何らかの原因で水素爆発に至った。これが1号機です。
ですから、国会事故調報告書が言っているような一次系の配管に地震に起因する破断がなかったとしても、高温になって強度が低下することによって劣化をして、原子炉圧力容器から蒸気が出てくる。それは炉心を貫通する中性子検出器のパイプから出たのか、SR弁から出たのか、それは今後詳細に検討する必要があります。同時に出た可能性も十分あります。
それと併せて今回気をつけないといけないのは、格納容器が高温になって、解析によると400℃くらいになっています。それで耐熱温度200℃くらいのシリコンゴムを溶かして放射性物質あるいは水素が出て、最終的に水素爆発をしてしまったことを認識することが大事です。
地震によって物が壊れたとすると、これは今までの延長上で、耐震補強工事をすることになります。ところが、格納容器の温度が上がって加温破損になってしまったとすると、格納容器を冷やす対策をしっかりしなければいけないのです。
国会事故調の報告書がもし正しいと主張されるとすると、本来の格納容器をしっかり冷却する必要性が薄まってしまって、対策を誤ることになります。
事故調はきちんと真実を究明する必要があって、私は国会事故調のようないいかげんな報告書は許されるようなことがあってはいけないと思います。これを私は非常に強く非難していまして、「月刊WiLL」の10月号で「原発事故調の重大な欠陥」と表現して指摘しています。これを私は専門家として強く指摘したいと思います。



ベントを先にすべきか原子炉の減圧を先にすべきか



3号機は、今、ビデオが東京電力から公開されて、マスコミでもそれが指摘されて、新聞にも報道されています。ホームページからビデオが観られるようになっていますので、私もその確認をしました。
特に3号機については、「ベントを早くやりましょう」というのと、原子力安全委員長の班目先生(当時)から「早く減圧をしなさい」という指示がきて、テレビ会議でそこについてだいぶ時間を割いていることがよくわかります。
あのビデオを観て非常に残念だったのは、社長、副社長、それから第一発電所の吉田所長(当時)、第二発電所の増田所長(当時)もいて、さらに大勢の部長クラスの方もいて、非常に多くの方がいるのですが、第一発電所については通信手段が絶たれてしまっているので、現場の状況が把握できていません。吉田所長(当時)は、「人をつけておけと言っただろう」というようにかなり強い調子で言っていますが、現場からの情報が上がってきてない。
この中でベントを先にすべきか、原子炉の減圧を先にすべきか、という議論をしなければいけない。すべての判断を吉田所長(当時)がしなければいけないような状況に追い込まれてしまっています。本来、吉田所長(当時)は部下にしっかり的確な指示を出して、状況把握をして、事故を収めなければいけないのですが、そういう議論に巻き込まれてしまっているのです。ですから現場の指示が出せていない。
事故の対応としては、非常にまずい状況になってしまっていると思います。両事故調もそこのところは指摘しています。
ただし、「班目委員長(当時)が指示を間違えた」という政府事故調の指摘もありますが、ビデオのやり取りを観ていると、ひとつずつの判断については合理性があるのです。全体をビデオで観る限りは、そんなにおかしい技術的な影響にはなっていない。それを今から説明いたします。
「まずベントをしなさい」というのは、吉田所長(当時)はじめ第一発電所の主張です。これは、ベントが遅れると、炉心の注水が進んでいる場合、ドーナツ状の圧力抑制プールが水で満たされてしまって、圧力抑制プールの水を通した後、濃い放射性物質を水に溶かした後にベントをする、というウェットベントができなくなってしまうのです。そのベントができない状態で事象が進むとすると、今度はドライのベントになってしまいますので、放射性物質を含んだものを直接ベントすることになって、事故として非常にひどいものになってしまうので、「ベントを先にしたほうがいい」というのが発電所の主張です。
ただし、そのベントに必要なバルブを開ける機材がそろっていなかったのです。コンプレッサーを持ってきて、最終的に空気圧でバルブを開ける操作が必要になってくるのです。バルブに直接人が近づいてできるような状況ではないので、空気圧を送ってバルブを開ける、そういうベント操作をしなければいけない。その機材がそろうまでのタイミングの情報が吉田所長(当時)のところになかなか届いていない。ですから、吉田所長(当時)は「今、ベントの作業をしていますから、時間をください」と言っているのです。
ところが、班目委員長(当時)から「早く原子炉の減圧をしなさい」、こういう指示がきています。ただ、ベントのほうがなかなかうまくいかないため、どんどん事故が進展していっています。



SR弁が開きにくくなる3つの理由とは



それから、減圧は、格納容器の内圧が上がるとSR弁が開きにくくなります。これには3つ理由があります。どの理由だったか、きちんと検証しなければいけません。


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提供:奈良林直氏


電磁弁という小さなバルブがあって、バッテリー10個を直列つなぎにして電気を送ると、電磁石が作動して小さなバルブが動いて、窒素をSR弁のシリンダーに送り込むような構造になっています。そのシリンダーは中に窒素ガスが入るとピストンを押し上げる。テコの原理でSR弁をギューッと下に押しつけているバネを押し上げて、SR弁が安全モードではなくて逃がし弁モードで開く、そういう構造になっています。その窒素圧を送る電磁弁が高温の蒸気によって、例えば絶縁不良になると、SR弁は開きにくくなります。
それから、電磁弁の中の小さなバルブはゴムを使っています。そのゴムが高温で劣化すると、その小さなバルブが動きにくくなる。これが2つ目です。
3つ目は、送り込んだ窒素の圧力と格納容器の内圧の圧力のバランスでピストンが動くのですが、格納容器の内圧が上がれば上がるほど、下から窒素の圧力を送り込んでSR弁を開けようとする力が弱まってしまう。私はこの3番目のモードでSR弁がなかなか開かなかったのではないかと思います。
SR弁というのは、開く圧力が段階的にセットされているので、それぞれのバルブでバネを押す力が違うのです。一番低圧で開くSR弁を先に通電すれば開いたかもしれませんが、それをずうっと順番にやっていました。
それからバッテリーを10個そろえなければいけないのですが、機材がない。それで駐車場の車のバッテリーをはがして持ってくる。そんな状況ですからベントもできないし、減圧もできない、これが実態だったようです。バッテリーなど必要な機材がそろってなかったのが非常に大きな反省事項です。
フランスやスイスなどの諸外国の例を見ますと、緊急事態になった場合には発電所の外からヘリコプターで物を運ぶようになっています。
フランスはEDFという電力会社ですが、この中に事故を収める特殊部隊があります。ヘリコプターで必要な機材を運んで、24時間以内に事故を収束させる専門の部隊です。フランスは1つの国営の電力会社でやっていますから、そういう強力な部隊を持っているのです。
スイスですと、スイス軍がその機能を持っています。スイス軍の基地に必要な機材がストックされていて、軍用のヘリコプターで直ちに発電所に必要な機材を運ぶようになっています。


自衛隊による初期からの活動が必要でなかったか


ですから、事故のときに菅直人前首相が「必要なものを運びなさい」という指示を出したら、自衛隊が動いたのです。最初、自衛隊のヘリコプターに東電の社長を乗せて、真っ先に官邸に連れて行き、「事故を国が全面的に支援するから、東京電力もしっかりやりなさい」「わかりました」、この最初の意思疎通をしていれば、「全面待避」だったのか「全面撤退」なのかなど、いろいろ食い違う事態は起こらなかったと思います。
ですから今回、必要な機材が足りなかったことは非常に大きな反省点で、発電所にきちんとそういう機材を備蓄する必要があります。
それから、自衛隊がそれぞれ近いところの発電所の分担を決めて、いざとなったら必要な機材を運ぶことも、国の防災として必要です。
アメリカやヨーロッパは、テロ対策も含めて原子力発電所の防災対策を立てていますので、もしテロにやられた場合でも軍が鎮圧に来るわけです。そのときに必要な機材も運ぶ体制ができています。
残念ながらテロ対策が日本の発電所の中でしっかりとられてなかったことが今回、事故を収束できなかった大きな一つの反省事項になっていると思います。これが3号機です。
それから2号機は、各自の蒸気タービンが動くRCIC(原子炉隔離時冷却系)が動いていたのですが、最後にだんだん力が弱くなってしまって、ついに注水能力を失ってしまいました。
本来、そのときまでにベントをして、さらに炉心の減圧をして注水をするという準備ができていればよかったのですが、2号機については圧力抑制プール、トーラスの外側に海水が流れ込んでしまって、そこが冷えてしまっていました。圧力容器の圧力は上がったのですが、それがちょっと中途半端な圧力で、格納容器の圧力が上がったときにトーラスを通じて外側から冷やされてしまった。そのために格納容器の圧力が十分に上がらなくて、ラプチャーディスクというステンレスの薄い円盤が破裂する圧力まで到達しなかった。ですから、せっかく「ベントをしましょう」ということで準備ができていたのにベントができなかったのです。


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提供:奈良林直氏



そのために事象がずっと進んでしまって、最終的に3月15日の朝6時くらいに4号機が爆発しました。そのときは枝野官房長官がちょうどテレビに出ていて、「2号機の圧力抑制プール付近で爆発音がしました」ということで、最初、2号機の格納容器が爆発音を立てて破裂した、と私は思っていましたが、(その後の東京電力の事故報告書に詳しく書いてありますが)いろいろなところに地震計が置いてあって、その地震計のそれぞれの時間を総合的に見ると、4号機が地震の震動源になっていて、それがずっと伝播しています。ですから、そのときに爆発したのは2号機ではなくて4号機です。4号機が相当ひどい爆発をしています。
4号機が爆発した後に何らかの影響が2号機にあって、格納容器の圧力が下がってきています。残念ですが、実はそのタイミングが大量の放射性物質を空中に出してしまう事態に至っています。これが2号機で、3月15日です。3月14日までは風が海のほうに吹いていたのです。ところが、3月15日は北西の方向、つまり飯舘村のほうに風が吹いていた。ちょうどそのタイミングで放射性物質が出てしまった。
それがSPEEDIでも予測されていたような報道がありましたが、モニタリングポストが停電で使えずデータ不足から正確な予測ができていなかったという点も非常に大きな反省事項だと思います。そのタイミングで飯舘村のほうに放射性物質が風に乗っていってしまったのです。その後、雨が降って、それがまた地上に落ちてくるのです。



フィルター付きベントで放射能を100分の1から1000分の1にできた


2号機で非常に残念なことは、一般環境に大変な放射性物質を出してしまったことです。これをまた反省しますと、ヨーロッパではチェルノブイリの事故の後にフィルター付きベントという施設を全部に追加しています。フランスもそうですし、スイスもそうです。


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提供:奈良林直氏


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提供:奈良林直氏


私は去年の11月にフィルター付きベントがどういうものか調査に行きました。フランスの大きな格納容器を持つ加圧水型原子炉にも付いていますし、スイスの沸騰水型原子炉にも付いています。それは、放射性物質をベントするときに漉し取って、それを100分の1から1000分の1まで低減させるものです。



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提供:奈良林直氏


今回、地元の汚染があって、「肉や魚や野菜などが暫定基準値の5倍になりました」「7倍になりました」ということで「捨てなさい」、こういうことになってしまいました。それから土壌が汚染されてしまいました。ところが、もし発電所にフィルター付きベントが付いていれば、それは暫定基準値の「1000分の5倍でした」「1000分の7倍でした」や、放射線量が「1000分の20ミリシーベルトでした」で、地元への影響はほとんどなく、今頃、皆さん平和な暮らしを取り戻しているはずです。それが非常に大きな反省事項だと思います。格納容器にフィルター付きベントが付いてなかったということです。これがわが国の福島第一原子力発電所の事故を非常に過酷なものにしてしまったのだと思います。
私は昨年からずうっと指摘を続けて、「今からでも発電所にしっかりフィルター付きベントを付けなさい」という主張をしてきました。意見聴取会でも私は相当発言をしましたので、去年の年末に保安院(当時)から「先生の主張に合意します」という連絡をいただきました。
それから1月になって電気事業連合会がプレス発表をして、「フィルター付きベントを付けます」と宣言をされました。それが法制化されて、バックフィットと言いますが、これから日本の発電所になくてはならない施設になります。
ですから、これからはフィルター付きベントが付いて、万が一事故が起きても大量の放射性物質を地元に飛散させるようなことはない発電所に生まれ変わるはずです。福島の事故を反省事項として、安全対策をとっていかなければいけない。
今、各発電所では津波対策として水壁や止水ドアが付いて、高台には電源が設置されています。ですから、津波に対しての備えはもうできたと私は思います。さらに万一、想定を超える何か異常事象があって、仮に炉心損傷が生じたときでも、原子力発電所の外に放射性物質を出さない、そういう深層防護は非常に深いレベルまで安全対策をとることを徹底することがこれから必要なことだと思っています。


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提供:奈良林直氏


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提供:奈良林直氏



ですから、すでに発電所にとられている対策と、さらに安全性を確保するためのフィルター付きベントを設置することをこれからしっかりやっていくことがわが国の発電所に今求められていることだと思います。 

 

(2012年9月6日)

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