福島第一事故情報

放射線による人体への影響

ICRPと放射線による健康影響

(公)日本アイソトープ協会専務理事 佐々木 康人 氏 (ささき・やすひと)

1937年 東京都生まれ。東京大学医学部医学科卒業後、同大学医学部附属病院第二内科助手、米ジョンホプキンズ大学放射線医学核医学部門研究員、東京大学医学部教授、放射線医学総合研究所長・理事長、国際医療福祉大学副学長・放射線医学センター長などを歴任。国連科学委員会(UNSCEAR)日本代表、国際放射線防護委員会(ICRP)主委員会委員なども務めた。

── 事故以来よく耳にするICRP(国際放射線防護委員会)は、どのような組織でしょうか。

佐々木 ICRPとは、International Commission on Radiological Protectionの略で、日本語では「国際放射線防護委員会」と言います。
元々は、各国の放射線医学会の連合体である国際放射線医学会の中の一つの委員会として、1928年に当時最も使われていたX線ラジウム防護委員会として発足しました。これが1950年に、現在の名前に名称を変更しました。ICRPは、放射線防護についての理念と原則について勧告を出し、常に助言的な役割を果たしています。
ICRPは、非政府の機関で、イギリスでは公益法人として登録されています。


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ICRPの刊行物(提供:日本アイソトープ協会)



ICRPは、国連科学委員会の報告を科学的な根拠としている


── どんな機関が放射線の影響について研究しているのですか。またICRPは何に基づき勧告しているのでしょうか。

佐々木 ICRPは研究機関ではありませんが、世界中に放射線影響の研究をしている機関はたくさんあります。
日本の中でも放射線影響研究所(広島、長崎)のように、原爆被爆者の健康影響を長年にわたって調査しているところがあります。放射線医学総合研究所(千葉市)にも放射線の低線量影響の研究をしているグループがあります。そのほか、京都大学、長崎大学、広島大学をはじめとして、多くの研究機関で研究が行われています。
それらの研究の成果を国連科学委員会(UNSCEAR=United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation 正式な日本語名称は原子放射線の影響に関する国連科学委員会)が集めて、その科学的な健全性を検証した上で、その時々の最新の知見を報告書としてまとめています。
ICRPは、このUNSCEARの報告を科学的な根拠として、放射線防護の理念と原則を勧告しています。ICRPの勧告を受けて、IAEA(国際原子力機関)がさらに、より具体的な安全基準をつくっています。
その安全基準やICRPの勧告などを参考にして、各国の政府が放射線の管理、あるいは障害防止の規制をつくっているのです。
そういった国際的な放射線防護・管理の枠組みが現在ではでき上がっていて、日本もその枠組みの中で国内の放射線障害防止法をつくり、放射線防護管理の体制をつくっています。


── ICRPでは、100ミリシーベルト以下の被ばくとがんのリスクについて、どのように考えているのでしょうか。

佐々木 100ミリシーベルトという線量は極めて大事な線量です。放射線の健康影響には2種類あって、1つがしきい値のある影響、「確定的影響」あるいは組織反応で、これは多くの細胞が死滅し、組織・臓器の働きが障害されるために症状として発現するのです。100ミリシーベルト以上でないと絶対に起こらない影響です。ですから、100ミリシーベルトを超えると確定的影響が起こる可能性が出てきますが、それ以下では確定的影響はありません。


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放射線防護の考え方(原子力・エネルギー図面集2012より)


一方、放射線によって遺伝子の変化を残したまま生き延びる細胞があると、さらなる変化が重なって、5年以上を経て細胞ががん化する可能性があります。この種の影響を確率的影響と呼びます。体細胞への影響が発がん、生殖細胞への影響が次世代に出ることを遺伝的影響と呼びますが、遺伝的影響は人ではこれまでみられていません。従って、人での確率的影響は将来の発がん、またはがんになって死亡するリスクとして評価されます。
もともとがんに罹患する人々、死亡する人々は大変大勢います(日本ではおおよそ二人に一人ががんに罹患し、三人に一人ががんで亡くなります)。放射線が原因でがんになる人が増えたかどうかは多数の被ばく集団と非被ばく集団を数十年にわたり追跡調査して初めてわかるのです。先に述べた原爆被爆者の寿命調査、健康調査ではおよそ10万人規模の集団で比較して100〜200ミリシーベルト以上の被ばく集団でがんが増加することが分かりました。がんの増加は線量の増加と比例することもわかり、1000ミリシーベルト当たりおよそ10%非被ばく群よりがんが増えることが分かりました。100ミリシーベルト以下の被ばくでは増え方がさらに少ないので非被ばく群との間で区別がつかないのです。数百万人、数千万人の集団で調査しない限り10ミリシーベルト、1ミリシーベルト程度の発がんリスクは見出せないであろうと考えられています。
そこで放射線防護の目的では、確率的影響にはしきい値はなく、高線量域で見られる線量増加とがんの増加との比例関係が100ミリシーベルト以下の低線量域でもあると考えることにしました。この考え方は直線しきい値なしモデル(Linear Non Threshold (LNT) Model)と呼ばれています。この考えに基づいて、発がんのリスクの指標として用いるために考案されたのが、放射線防護の中核をなすと言われる「実効線量」という線量単位です。
また、低い線量の放射線をたくさんの方たちが被ばくしたことから、実効線量と、それを受けた人数を掛け合わせた「集団実効線量」という数値を使って将来のがんの予測に使うことが過去に行われました。しかし、その数値には適切な使い方が必要で、間違った使い方をすると大変誤解を招きやすいので、その点についてはICRP2007年勧告がかなり細かく「適切な使い方」を説明しています。



科学者は自分の考えを社会への影響まで考えて表明すべきかもしれない


── なぜ放射線の健康影響についての見解が学者によって異なるのでしょうか。

佐々木 疫学的な調査で非常に大勢の原爆被爆者(10万人規模)を対象とした調査の結果でも、100ミリシーベルト以下の線量についての影響はあったとしても見つけられない程小さい、というのが現実です。
それでは、絶対に100ミリシーベルト以下のことはわからないのかというと、そうではなく、放射線生物学の研究、特に、最近の分子生物学的な手法を使った研究は非常に進んでいて、おそらくこの研究が進むと、放射線影響の機構解明ができ、放射線の影響について私たちがもっとよく知ることに役立ちます。ICRP2007年勧告も、このような研究を推進する必要を述べています。
まだわかっていないだけに、放射線の影響に関する研究はたくさんありますので、それぞれの研究者が自分の経験や実験結果に基づいて、いろいろな考えをもっているのは、当然といえば当然です。研究者によって、いろいろな意見の差があり、「非常に低い線量でも危険だ」という考え方から「いや、リスクはそんなに高くない」という考えまでいろいろあるのです。
ICRPは、そのようなことを十分認めた上で、今のところ、生物学的な研究成果はヒトの放射線防護の中に取り組むほど成熟していないので、まだ放射線防護の体系の中にはその知見は取り組まない、というのが基本的な姿勢です。
ただ、今のような状況の中で研究者がそれぞれに自分の考えを主張するということが本当にいいことかどうかは、倫理的な問題だと思います。そのために被災者の方たちが大変不安になって、必要以上に生活を制限したり、親子が別れてしまうとか、放射線の影響を避けるために放射線のリスク以上のリスクを負ってしまっている、というようなことが起こっています。科学者が自分の考えをそれぞれにもっていることは当たり前ですが、社会への影響まで考えて表明すべきかもしれません。



60キロの体重の人で7000ベクレルくらい放射能を持っている


── 放射能を理由に被災地の瓦礫が受け入れられにくい状況ですが、放射線のリスクはどのように考えたらよいでしょうか。

佐々木 自然界の中には放射性物質があって、地球ができて以来、人類はずっとその自然の放射線の中で生きてきました。例えば、ヒトの体の中にもカリウム40という放射性物質があります。それらを含めて、60キロの体重の人で7000ベクレルくらいの放射能を体内に持っていると言われています。年間にすると約0.3ミリシーベルトくらいの放射線を常に受けていることになります。


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体内、食物中の放射性物質(原子力・エネルギー図面集2012より)


これは自然の放射能ですから、制御することはできません。どうしようもないものです。それらを制御する、あるいは防護するということは、ICRPは考えていません。あくまでも、人工的な制御できる放射性物質からの被ばくは「できるだけ少なくしましょう」という考え方です。
そのような人工的な被ばくは少ないに越したことはないのですが、そのときに「合理的に達成可能な限りできるだけ低くしましょう」というALARA(As low as reasonably achievable)という考え方に基づいて最適化ということをやっているのです。
今のICRPの勧告は、この最適化を非常に重視しています。できるだけ被ばくは少ないほうがいいけれども、だからといって、わずかな被ばくを避けるために膨大な労力をかけたり費用をかける、あるいはそれによって社会や人々に悪い影響を及ぼすことがあってはなりません。そこはバランスの問題なのです。
被災地の瓦礫を県外で処理することは、被災地の復興のために極めて大事なことです。本来はお互いに助け合って受け入れる、そのような気持ちを日本人はみんな持っていると思いますが、わずかな放射線のリスクを恐れるあまりにそれを拒否する、というような現象は極めて残念なことだと思います。
放射線のリスク、特に低線量放射線によるリスクは発がんのリスクですが、発がんの要因は、わかっていないものも含めて、たくさんあります。その中で放射線によるリスクは、発がん要因の中で非常に小さいものです。そういうことも十分認識していただけたらと思います。
被災地の方々を早く元気にし、復興を進めることのほうがはるかに日本の国にとっても、また被災地の方々のためにも大事なことだと思います。



(2012年3月8日)

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