福島第一事故情報

放射線による環境への影響

福島第一原子力発電所事故と海洋汚染

(公財)海洋生物環境研究所・研究参与 渡部 輝久 氏 (わたべ・てるひさ)

1948年 東京都生まれ。71年 東京大学農学部水産学科卒業後、同大学大学院農学系研究科水産学専門課程を修了。元科学技術庁・放射線医学総合研究所に入所。その後、西ドイツ放射線衛生研究所、国際原子力機関、(公財)環境科学技術研究所を経て2008年から現職。

── 福島の事故後、水産物の出荷制限や制限解除などが行われていますが、現状を教えてください。

渡部 事故により、海洋にも放射能が放出されましたが、事故当初は必ずしも誰もがこのような深刻な海洋の放射能汚染に至ると考えていたわけではないと思います。昨年の4月にイカナゴの稚魚(コウナゴ)に4080ベクレル/キログラムの放射性ヨウ素が検出されました。その翌日には526ベクレル/キログラムの放射性セシウムが検出されたことが公表され、その後コウナゴについては放射性ヨウ素で12000ベクレル/キログラム、放射性セシウムについては14400ベクレル/キログラムに及ぶ値が公表されました。
3月17日には、厚生労働省が食品の暫定基準値を発表しました。その時には、魚に含まれる放射性ヨウ素の基準値はなかったのですが、4月5日に2000ベクレル/キログラムいう数値が追加され、4月20日にはコウナゴに対する出荷制限措置がとられました。
その後、6月に福島県の内水面の魚でも高い値が検出され、出荷制限措置がとられました。
今年の4月、事故修復時の対応として介入線量レベルを5ミリシーベルトから1ミリシーベルトに引き下げて新しい食品の規制値が設けられました。新しい規制値では魚を含む一般食品に含まれる放射性セシウムは100ベクレル/キログラムになりました。そして、この100ベクレルが適用されるようになり、特に福島の海域では30数種類の品目に出荷制限措置の指示が出されました。岩手から茨城までの海域では、原子力対策本部が出荷制限を出しているのは、現在、47魚種となっています。(2012年6月29日現在)
これはあくまでも新しい規制値による出荷制限の指示で、その他に県や地方自治体が独自に出荷制限をしている所や操業を自粛している所もあります。さらに、漁業者自体が自主的に操業を行わないところもあり、魚種数からいうと、相当な数に昇ることになります。
4月から規制が厳しくなり、出荷制限品目数が増え、にわかに目立って見えるようになったといえます。
原子力災害対策本部が指示した出荷制限が解除された魚種もあります。イカナゴの稚魚のコウナゴが今年の6月に解除されました。解除する時には、週1回の検査をし、直近の1か月間規制値を超えなければ、知事の申請の下に解除することができるようになっています。今までに出荷制限が解除されたのは、コウナゴだけだと記憶しています。(2012年7月6日現在)
また、県(岩手県)が独自に操業を自粛していたクロソイが直近の1か月で規制値を下回り解除されたという例もありますが、まだかなりの数の魚種が出荷制限されています。
つまり、水産物については、4月の新規制値以降、100ベクレルを超える品目(魚種)がかなりあり、それらに出荷制限が適用され、農作物とは少し違う様相を示しているというのが私の印象です。


── つまり、流通している海産物については心配なく食べていいと考えてよろしいのですね。

渡部 市場に出回っているものは、規制値よりも低い値ですから、全く心配ないと言えるでしょう。
事故以来、いろいろなところでお話した際に、「たとえ規制値以下でも放射能の入っているものは食べたくない」「本当に規制値で安全なのか」ということをおっしゃる方がいらっしゃいました。
しかし、セシウム137やストロンチウム90などの放射能による環境汚染は、実は今に始まったことではなく、1960年代~70年代の米ソ、中国などの核実験の時からずっと続いています。また、チェルノブイリ事故による影響もあります。
要するに、私たちは好むと好まざるとに関わらず、すべての水産物や農作物には、今の規制値の10分の1あるいは100分の1、あるいはそれよりも低いかもしれませんがセシウム137などが含まれており、食べ物として口にしてきているのです。
また、人工の放射性核種の他に、自然に存在する放射性核種があります。その最たるものがカリウム40という放射性核種で、すべての食品に含まれています。セシウム137を測れば、同時にカリウム40も検出されるため、私たちは、両方の値づけをしています。水産物でみると、カリウム40はちょうど100ベクレル/キログラム程度です。
そのような意味では100ベクレル/キログラムという値は、驚くような高い値ではありません。放射性核種を含んだものを私たちは日常的に食べており、しかも核実験が行われていた当時は今よりももっと高い値を示していたのです。
そのような時代を無事に過ごしてきていることを考えると、現状は全く心配いらないのではないかと思います。
また、100ベクレルという規制値自体が非常に厳しい条件のもとで、つまり安全側に設定されています。たとえば、放射性セシウム以外の放射性核種の存在を仮定し、それらの存在を前提として放射性セシウムの規制値を設定しています。しかし、現実的には放射性セシウム以外の放射性核種を検出することは滅多にありません。年間1人一般の食品を500キログラムぐらい摂取しますが、もし100ベクレル/キログラムの食品を摂取し続けても公衆に定められた線量限度、年間1ミリシーベルトに達することはないと計算されます(放射線による人体の影響はシーベルトという単位で表されます。セシウム137を食品とともに摂取した場合には、年間のセシウム-137の摂取量に1.3×10-8シーベルト/ベクレルという線量換算係数を掛ければ年間の内部被ばく線量が求められます)。
昨年の福島第一原子力発電所の事故後、24年3月31日までに、8576試料の水産物を調べています。
規制値を超えたものが出ると、新聞やテレビで非常にショッキングな報道がされるため、「また高い値が出たか」と思います。しかし、セシウムの場合、4月以前で暫定基準値以上であった試料は8576試料のうち254試料でした。パーセンテージにすると2.9%、残りの97%は暫定基準値の500ベクレル/キログラムより低い値でした。
放射性物質が不検出のものもたくさんあるため、平均的には数ベクレルから数十ベクレルぐらいのものは食べていたかもしれませんが、健康に影響が出るようなレベルの値ではないと言えます。
規制値が100ベクレルになった今年の4月1日から7月3日現在までで水産物の測定検体数は、5275試料です。そのうち100ベクレルを超えていたのは529試料で、その割合は10%です。529という数は多いように思いますが、3月31日までの水産物で100ベクレル/キログラムを超えていたものは17.3%です。今は100ベクレルを超えるのは測定試料のうちの10%ぐらいですから100ベクレルを超える数は、着実に減少傾向にあると言えます。


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「規格基準値」の水産物を1年間摂取したときの内部被ばく線量は?(提供:渡部輝久氏)


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農水省による水産物の放射能調査実施状況(提供:渡部輝久氏)


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平成24年4月以降の水産物の放射能調査実施状況(提供:渡部輝久氏)



── 福島事故による海洋汚染について、こちらの研究所での調査は、どのようにされているのでしょうか。

渡部 昨年の3月に東京電力が福島第一原子力発電所の前の海域で海水の調査をしました。その結果、高濃度のヨウ素131、セシウム134、137が検出されたことを受け、文部科学省は3月22日、直ちにきちんとしたモニタリング体制を取らなくてはいけないということで、海洋のモニタリング計画を策定し、発表しました。
モニタリング計画発表当初の3月、4月の海洋モニタリングは独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)により海水と海上の大気、海上での空間線量率などを検査項目として実施しました。
海洋生物環境研究所(以下、海生研)は、もともと漁業者の安心・安全のための海洋調査を定常調査として実施していますが、今回新たに文部科学省に対して私たちができる調査を提案し、5月より文部科学省の委託を受けて海洋調査を始めました。
事故当初は福島第一原発、第二原発周辺を対象としていましたが、海生研は少し海域を広げて、南は千葉県の銚子沖から北は宮城の女川までを対象とし、また外洋方面の海洋モニタリングは引き続きJAMSTECが担当しました。
漁場となる海域で測点を相当数設定し、海水、海洋大気中の塵埃の放射性核種濃度、海上での空間線量率、そして新たに陸上に近いポイントでの海底土について調査を行いました。その調査は2か月に1回程度、昨年の5月から今年の2月まで実施しました。これらの調査が福島の原発事故に伴う海洋調査の大まかな体制です。
昨年の事故直後は、緊急時モニタリングということで、海域でどのような放射性核種がどの程度の濃度で分布しているか、迅速に把握することが第一の仕事でした。そのため、多数の試料を短時間で公表することを目標として数値を出しました。
その数値はすべて文部科学省のホームページに掲載されていますが、文部科学省の定める告知濃度というものがあり、セシウム137で90ベクレル/リットル、セシウム134で60ベクレル/リットル、ヨウ素131で40ベクレル/リットルという値を検出限界として測定を行った結果です。
結果、当初はそれなりに放射性核種が検出されましたが、海水は速やかに不検出の状態になりました。もちろん先に述べた検出限界値よりは低いとはいえ海水中にある程度の濃度の放射性核種が残存していたことには違いありません。一方、海水中に放射性核種が検出されなくなったのとは逆に、海底土にかなりの量の放射性核種が移行していることが分かりました。
昨年の8月からは、より低い濃度を測るために、従来私たちが行っている定常調査に近い形での精密な分析を行うようになりました。その結果、海水中の表層水と下層水からもかなり低い放射能濃度の海水を検出するようになりました。


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福島第1原子力発電所事故後の発電所直近の海水中の放射性セシウムおよび放射性ヨウ素濃度の推移(提供:渡部輝久氏)


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福島県沖合海域海底土試料中の放射性セシウム濃度の経時的推移(提供:渡部輝久氏)


── 福島の事故による放射性物質の海洋への拡散状況や魚類への影響についてはどうなのでしょうか。

渡部 1960年代~70年代に行われた米ソ、中国による大気圏の核実験によって生成された核分裂物質が成層圏まで達し、長い間地球のあらゆるところに降り注ぎ続けてきました。さらに、1986年にはチェルノブイリの事故があり、そのときもセシウム137が世界中に降り注ぎました。そのため、福島の事故前から、海水中や海産生物中、海底土にも放射性セシウムは含まれていました。
今回の事故による海洋放射能汚染が、これら核実験、チェルノブイリのときと何が違うかと言うと、今回の事故では津波が相当量の海底土を巻き上げるとともに、陸上を襲い、陸上の大量の土砂を海洋に押し流したということです。
セシウムは、土砂、特に粘土鉱物に非常に吸着しやすく、親和性が高い性質を持っています。そのため、海水中の土砂などの粒子にセシウムが速やかに吸着し、粒子が沈むのと同時にセシウムも海水中から消えてなくなる「スキャベンジング」という現象が起こったのではないか、と想像されます。それが今回の事故の非常に大きな特色として挙げられ、これまでの海洋放射能汚染にはなかった現象が介在しているということができると思います。もちろん、海洋自体による拡散もありますが、昨年5月まで高かった海洋中の放射能濃度が速やかに海水中から消えた背景には、そのような事情があったと考えられます。
しかし、表面海水や下層の海水中の放射性セシウム濃度は、私たちの定常調査で得られている値より、まだ10倍、100倍ぐらいは高い値を維持しています。現在0.001~0.1ベクレル/リットルくらいの間での濃度はありますが、それでも速やかになくなったと言えるでしょう。一方、海底土は100ベクレル/キログラムに近い値を維持しています。
魚に関しては、農水省による放射能調査が行われており、海生研もこれに参加しております。表層魚、イカナゴ、シラス、白魚の類についてはかなり速やかに放射性セシウム濃度が減少していますが、中層魚と底層魚はかなり高い値を検出する試料もあるのが現状です。
現在、出荷停止の指示を受けているのは、海産魚に関してはヒラメ、カレイ、マダラ、スケソウダラなどの底層魚、スズキなどの中層魚です。
これらの底層魚と中層魚の放射能濃度が速やかには落ちていかないのが現在の状況です。それにはやはり海底環境の汚染がいまだに続いていることが一つの原因となっているのだと思います。
ただ、私たちは定常調査として全国の海域で同様の調査をしていますが、魚の放射性セシウムの値が事故前より高かったのは青森から茨城にかけての東日本海域だけでした。


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大気圏核爆発実験およびチェルノブイリ原子力発電所事故により放出された放射性核種の量(2000年国連科学委員会報告書より)
提供:渡部輝久氏


── 今後、海洋汚染の状況はどう変化していくと考えられますか。

渡部 私たちは、これまでの定常調査の結果から海水と海底土中の放射性セシウムの時系列変化を得ることができています。海水も海底土も含まれる放射性セシウムの減り方は、単にセシウム137の物理学的な半減期だけではない環境の要因に起因した減少があることが分かっています。海水中の半減期は、セシウム137の半減期の30年よりは速い、例えば15年ぐらいと短くなります。
また、「海底土の放射能は溜まる一方ではないか」という誤解があるようですが、沿岸海底土の半減期も20年程度と、物理学的半減期よりは短くなります。
今後の予想はなかなかつきにくいですが、それは、河川によって運ばれる放射性核種による海洋環境の汚染の上積み分がどうなっていくのかという問題が残っているからです。つまり、陸上からの汚染と海自体の自浄作用とのバランスが取れたところで、減少していくと思いますが、それが従来どおり15年あるいは20年の半減期のような減少の仕方になるのかは、もう少し調査を続けなければならないと思います。


── 今後の海洋生物に対する放射能の影響についてはいかがでしょうか。

渡部 福島の事故により放射性物質が放出された環境で野生の生物、水棲生物は今後も繁殖を続け、資源として維持されるのか、調査・研究し評価することは重要だと思います。また、世界は福島の事故の影響を陸、海問わず注目しているため、やはり情報を提供していかなくてはならないと思います。
ただ、過去の経験から、「この線量以下だったら影響はない」というある程度の値はわかっています。その計算法も、国際放射線防護委員会(ICRP)などが提案しており、様々なパラメーターも提案されています。
そして、例えば、非常に厳しい条件、過去にあった海水及び海底土、魚の一番高い濃度を組み合わせて計算しても、今回の事故による汚染は、「これ以上になると繁殖などに危険」と過去から言われているレベルには到底いかないことが分かっています。おそらく今回の事故の結果は、野生生物に影響するようなレベルには達しないだろうと想像できます。
福島の海域に関しては、今後も、海生研をはじめ様々な研究・調査機関からデータが出ることになるため、評価や比較ができます。今後も海洋や海洋生物への影響について、注視していく必要があるのは当然と考えています。



渡部輝久(2012年7月6日)

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